本書の考えを紹介しながら自身の考えなども交えながら進めます。
ここからは具体的なケースを紹介しています。
1990年の生活と2025年の生活を比較する。この二つの時代を時間が細切れになっていなかった時代と細切れになってしまった時代としている。
2025年の時代はクラウドとテクロノジーによってすべての人は24時間7日間、常につながることが出来る時代。しかしこれは言うなれば、常につなげられている携帯電話は鳴りやまず、メールは常に受信を続けている。全世界がつながり地域を超えて昼夜をこえていく。まとまった時間はうばわれその個人の時間が細切れにされているのである。
対して、1990年代はあそびと仕事の境界は不可侵であった。仕事が終わるとその足で一杯ひっかけに出かける。家には仕事を持ち帰らない。そもそも家にPCはなかったし、仕事は会社でしかできなかった。自宅の電話は9時以降はかけてはいけないというのが暗黙の了解だった。
休日は自分の時間であり、自身の課題や趣味に多く時間を費やすことが出来た。
未来の時間が細切れにされた時代には
まずまとまった時間がとれない、そして公私の区分があいまいで人との関わり合いが希薄である。会社に行かずとも仕事が可能になった。そのため、24時間常に縛られるようになった。
このような未来に対して著者が提案する3つのシフトは
①専門技能の習熟に時間を費やすべき→スペシャリストとして個人の価値をアップさせる
②時間に追われる未来は必ずしも孤独ではないと理解すること
→昔はよかったと懐古主義に陥らず新しいコミュニケーションのスタイルが確立するべきだと思う、
③人生観の転換
コロナ禍で仕事帰りに飲みに行くことも出来ず、家に帰らざるを得なくなった人たち。それは寂しいことだけではないと思っています。家庭を見直す機会になったと思います。
自分の人生をどう生きるべきか という再選択を今、与えられていると私はポジティブに考えています。しばられてしまっているだけではなく、自発的に自分を主張していくべきだと思います。ただここが日本人が一番苦手とするところでもありますね。
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